GHクラフトが目指すモノ造り


2007年 1月 22日        

(株)ジーエイチクラフト 木村 學


1.はじめに、創業から現在まで

 創業時代:ヨットと舟艇、設計製作、

1970年、学生時代に創業の準備を始め、湘南茅ヶ崎市、海岸近くの松林の中に小屋を建て、小さな造船所を開業しました。最初は、合板・木構造の競技用12フィート・ハイドロ・プレーンやランナバウトなどの設計製作を開始しました。小型舟艇・ヨットは設計から製作、操船、レースに参加など全行程を自分でやれることが素晴らしくうれしいことでした。設計を自分でできる!そしてそれを造り、乗って試してみることが今日の当社の根幹になっており、重要な経験・学習でした。

特に合板と木材を細く製材したストリンガー・縦通材、フレームなど接着組み立構造・工法・技術は、その後の強い方向性を持つ先端複合材構造の設計製作に役立ちました。  


 木構造からFRP構造

私が20代になりヨットに乗り始めてから、どうしても自分自身で造りたい!と思うヨットの図面をヨット仲間を通じて見る機会がありました。それはイギリス人のJohn Westell 氏が、競技用に設計した高速超軽量小型ヨット・505級です。美しい曲面で構成された船体はベニヤ材(薄くスライスした木材,合板の接着前の板)を船体の型にフェノール樹脂で積層し、ゴム製真空バッグを用いて蒸気のオートクレーブで加熱・加圧硬化するプロセスで、第2次世界大戦での先端技術を用いた構造を要求するデザインでした。この図面は当時日本の技術レベルには衝撃的なもので、その後先端複合材料の基本となるものであったと思います。 

これを私は、松林の中の小さな工房で似たようなモノを造ろうと思いました。オートクレーブは大変な設備ですから、趣味・スポーツの世界でこの工法を使うことはほとんど無理でした。しかし英国には、この設備が当時まだ残っており、防衛用高速艇やほんの少数の小型ヨットが造られていました。その後フェノール接着材のように加圧必要としないエポキシ接着剤が市場に出回り、これを用いてコールド・モールド工法が現れたので、これを工夫して工芸品的な工作で船体を何とか造りました。

そのころはFRPがまさに始まっており、漁船・舟艇・バスタブなどなどが工業化する時代でしたから、私たちもヨットの船体にFRPを導入します。これは優れた材料・工法でしたが、競技用のヨットの艇体には比剛性が不足し、当時の軽量木構造艇との競技で勝つことが困難でした。

GFRPソリッド積層の剛性不足を解消するためサンドイッチ構造が普及し始め、硬質PVCフォームやバルサコアーなど多くの材料・工法を取り入れFRP構造が進化し、ほとんどの艇体に用いられるようになります。さらにちょうど1970年は、CF(Carbon Fiber)が市場に出現し、苦労して入手して補強に用いることを開始しました。

私は当時、この505級ヨットが国際的な競技艇であることから、英国・米国のヨット専門誌を定期購読し、常に最新の情報を得ることに努力しておりました。毎年世界選手権がどこかで開催されますので、これに参加すべくひたすらそのために働きました。わずかな事業資金を全部つぎ込んで参戦を繰り返しました。操業から7〜8年の頃、社員が3人でチームを作り3艇建造し、1ヶ月会社を閉めて参戦したりしました。毎年船体や艤装に工夫を凝らしてレースに出かけ、工作の技術でも競争を繰り返したのです。初期にはイギリス艇が工芸的技能と技術の両面で秀でておりましたが、米国勢がじりじりと航空機のハイテク材料技術であるハニカム構造などを導入してリードする時代が始まりました。ヨットの競技を通じて彼らと仲良くすることを心がけました。私どもの工作・技術や操船能力向上でレースの成績が良くなり、強くなると彼らも一目置いてくれるようになり、お互い情報交換や技術交流ができるようになります。またありがたいことに米国人チームはおおらかで寛容に何でも教えてくれました。

レースの後など彼らの工房を訪問し、工法材料の入手先など多くの情報を得ることができたのです。さらにそこでSAMPE(先端材料技術会)の存在と、メンバーになることを教えてもらいました。

ビジネスを通じてのつきあいであれば、これらの先端技術の情報交換は難しかったでしょうが、スポーツを通じた仲間として彼らと、世界の先端複合材料技術の世界に入ることができたのは大変幸せなことでした。


 レーシングカーと先端複合材料、SAMPEの世界へ

何とか競技用ヨットで<飯が食える!>ように成って来た頃、日本は徐々にバブル期とともにレーシングカー全盛時代へと進みました。ここで幸いなことに私どもは T社のレーシングカープロジェクトの手伝いをする機会を得ました。ヨットは自動車より業界が小さくまさにマニュファクチャーであり工芸品であり、趣味の世界です。しかしながら先端複合材料:ACMの導入は先端の航空機の次に導入が早く、また小回り良く行っていましたから、設備投資が著しく不足していることをのぞいて、私たちが大変役に立てる状況ができていました。 

しかし自動車技術の世界にはなんといっても設備が必要です。日本大手T社のレース参戦プログラムは世界最大級の規模でした。4月にシリーズが始まり、秋10〜11月の最終戦まで毎月レースが複数有り、毎レースに向けて技術チームも戦いが続きます。いかに早く高性能な車を運行チームに渡すか!の勝負が繰り返されました。 

そこでまさにハイテク設備が必須となりました。ちょうど当時、CAD、CAEシステムが大型コンピューター:メインフレームからEWSの時代になり、小企業でもCAEシステム、CAD/CAM・NCマシンシステムなどを導入できる時代が始まりました。そこで一大決心をして大型の5軸加工マシニングセンター、CAD・CAMシステムを数億円規模で導入計画を立て、木型屋さんに依存しないで直接型を加工、構造設計と成形・製作組み立てする能力、技術の構築を目指しました。最初の2年は工芸的技能とシステム技術を折衷して苦労を重ねる連続でしたが、徐々に設備投資の効果が現れました。まさに技能集約的作業から技術集約的作業への革命が行われました。 

大事なことはCAEシステムだけでなく、材料の成形加工技術のレベルアップ、バージョンアップでした。材料試験機を導入、またCAEに依存しすぎないように、とにかく入手可能な材料を社内で成形し、TP作成、要素試験、評価など、そのプロパティーを持って構造設計をすることなどを、いかにスピーディーに行うか挑戦しました。オートクレーブや裁断システムなど航空機並の成形関連設備を用いて、速く・正確に、低コストで開発を数多く繰り返すこと。開発のサイクル数を多くし、改善・改修、バージョンアップをいかに速く行うか!に努めました。

大変幸いなことにこの時代、レーシングカーはACMモノ作りのレベルアップ、技術力向上にとってまたとない機会を与えてくれました。とにかく私どものように小さな企業にとっては、大冒険という数億円レベルの設備・研究開発投資を毎年繰り返すことができたのです。


 航空 宇宙機低コスト化時代のはじまり

バブル時代の終焉が見え始めた頃、銀行はまだ土地などの担保価値を大きく見てくれておりましたので、売り上げ利益がそれなりに良い時期に、これ以上はとてもできないレベルの銀行借り入れを決断しました。理由は、レーシングカー全盛時代も終焉することを予感していたからです。その資金で3年間大赤字を覚悟し、これまで得た技術資産・実績を元に、さらに高い技術分野である航空宇宙事業入りを目指しました。この頃航空機産業も低コスト化の時代に入ります。 

これらの情報をどこで得ていたか?と言いますとそれは、SAMPEです。毎年、春秋米国の国際シンポジウムに参加しました。1020年通って注意深くキーノートスピーチ、要素技術セッションなどを聴いておりますと大変重要な情報を得ることができました。 

これから510年、どのようにACM業界のビジネスが展開をして行くのか?など、ビジョンやプログラムが述べられており、また次の技術、実用化すべき技術などの発表がなされていますので、想像力と創造性を働かせる事でこれらが見えて来ました。

共和党大統領の時代から民主党大統領の時代になること、またソ連の崩壊などから、航空宇宙もものすごいコストダウンを目指す時代へと進むことが判り、まさに知恵・知識・創造力など私どもも勝負できる時代が始まっていたのです。

そのような年月を経て、当社も日本チャレンジ・アメリカスカップ艇(AC艇)で役に立てる機会が巡ってきました。私はこのプロジェクトは、従来のFRP造船技術を航空機のACM技術へと進化させる機会にしよう!と考えました。最先端の舟艇を航空宇宙機のレベルで安く速く造る、技能集約から技術集約へのイノベーションです。

せっかくの機会ですから、多くの国内若者技術者にこの技術に触れる機会にもしようと思い、建造チームメンバーの一般公募を実行しました。

当社が構造設計、ACMプロセス設計・工作を指揮・監督・作業を行いました。

清潔で精密なACMの基本作業教育を公募したスタッフに行い、その成果も現れました。しかし小企業でこのプロジェクトの予算から充分な収益は望めず、本業がありますので社員の約半数を投入し、日本チャレンジの選手チームも建造に参加してもらい、予算内で最大の成果を果たしました。

また三菱レイヨンさんは素晴らしい低温プリプレグを開発してくれました。当社も高精度の大型ジグ製造手法や、大型構造の品質確保プロセスなどなど開発・設計製作成果を得ました。

世界中で建造されるアメリカスカップ艇(AC艇)は、世界協会の一計測員によってルール通りに建造されているかチェック・計測を受けます。計測員は船体各部の任意の部位からコアードリルでサンプルを抽出し、断面観察まで行います。その計測員が「この艇体の品質は世界一だ!」と評価してくれました。この工法には数多くの技術イノベーションが為され、この建造チームの公募メンバーからACM業界ベンチャーが現在出現しておりJAXA航空プロジェクト開発の一端を担いつつ有ります。

このAC艇プロジェクトの成功で、日本複合材料学会の技術賞をいただくことができました。これができたのなら、日本版宙往還機:HOPE―Xもできるのでは?という問い合わせを当時NASDA(現在JAXA)からいただき検討が始まりました。そしてNASDA,MHI名航、GHの3社で全CF複合材、実大構造技術試験機のプロジェクトが始まりました。当社は大変光栄なことに下請けではなく、構造設計・製作を担当する3社(者)対等のプロジェクトとして頂きました。これは日本で初めての小ベンチャー企業による宇宙機の設計製作だと思います。これはMHI名航殿の多大な技術支援と、また当時NASDAの勇気ある決断、3者(社)の挑戦の意志の結果で、日本の複合材技術界の大きな一歩でした。

アルミ構造より低コスト化:1/10以下、軽量化30%Less、開発期間の短縮:1年間で設計製作、強度剛性目標達成、などなどの成果をあげることができました。

しかし残念ながら当初数機製作、打ち上げ・再突入計画が、1機製作でプロジェクト凍結!となり当社のビジネスとしては大変厳しい状態でありました。ここで得た全複合材構造の実現性・確認ができ、この知見、経験は大変大きかったと思います。


 CFコンポジット構造、艦艇、列車、自動車の要求

さらに当社にとって幸運が訪れます。それは万博新交通システム車:IMTSの設計製作を担当できたことです。このプロジェクトには当社のすべての経験・技術と、新たに考案する技術開発が投入されました。

上記の各プロジェクトで得た技術・経験、技能などは艦艇、列車、自動車、産業機械、航空機、宇宙機などなど様々な新たな要求に貢献し、工夫を追加して開発を行っています。艦船、公共交通機などは建築と同様に耐火・耐熱性の要求が最大の課題です。樹脂が主要な材料ですから、火炎を浴びた時に発火燃焼してしまうのがFRPの課題です。これが万博新交通車:IMTSの課題でもありました。これらの耐火安全性確保は、耐火機能コーティング材と樹脂の難燃化、サンドイッチ構造の断熱性で、要求をクリアしました。

2番目の課題は、(超)低コスト化と成型サイクルの超短縮化でしょう。トラック・バス・列車などは生産サイクルやイニシャルコストで見て、現状の材料でまかなえていると思います。設計方針と生産設備投資次第で十分成果をあげることができると思います。

私は34年前に、国内某バス・トラックボディの製造現場を詳細に見る・観察する機会が有りました。また昨年米国オハイオ州にある大規模FRP成形トラックボディと全米No1のパワーボートの生産工場を見せて頂く機会がありました。米国のFRPを主要構造材料とするこれらの壮大な工場を見て、日米のおおきな違いは、FRP、コンポジットの可能性をどこまで信じているのか?ということのように感じました。 

また日本の自動車・バス・トラックは、金属・Steelを主とする<モノ造り>を徹底することで、今日世界No1の品質、生産性を達成しています。多くの文化が人類の歴史の中で東へ東へと伝わり、極東の日本で完結する構図が有ますが、これとに似た現象のようにも見えます。Steelでのモノ造りが日本で進化し、伝統のように成りつつあることが新素材・複合材料加工技術への大規模な産業レベルでの挑戦、移行が遅れているのかもしれません。

現在航空機複合材技術は、ご承知のように大きく進行形で、成果が出てくるのも時間の問題と言って良いでしょう。最も大きな課題は積層厚さが4mmを超えるあたりからの層間せん断強度でマトリックス樹脂の強度です。成形性を維持してどこまで向上できるか?だと私は思っています。

787の主翼や胴体の生産準備が進行しておりこの挑戦の状況は大変楽しみです。


2.これから と まとめ

市場・社会、ミッション要求に対して設計・製作する我々は、数年・510年後に向かい大変重要な時期を迎えていると考えています。複合材の課題は今後改善され、やがて時が来れば材料供給側の態勢が整備されるでしょう。そこに合わせてアプリケーション側も実用化の準備や態勢を整備しておくことが重要だと思います。


 
新しい時代が始まっている

20世紀から21世紀、現在我々文明社会、産業界、技術者が置かれている状況は、過去と決定的に異なっていることを意識しなければ成らない時に居る!と私は感じています。

地球規模の環境問題と、石油など化石エネルギーに依存する時代からの脱却!ということです。とにかく徹底した省エネの追求から、アクティブな省エネとして再生可能エネルギーの活用、具体的にはエネルギー源の多様化、エネルギーセキュリティーという考え方が重要な時代になりました。
 

19世紀、20世紀を簡単に復習してみると、鉄 → 製鋼 から始まった産業革命、乗り物の進歩・進化と交通・輸送システムの進歩、ライト兄弟の飛行機からアルミ合金・軽金属の出現、1920年代 アルミが金より高価な時代もあった様です。

金属の鋳物から機械加工、型成形:板金プレス・鍛造、精密塑性加工の進歩とプラスチックスと型成形技術などが生産性、大量生産の要求から進みました。省エネ・高速化、軽量化の要求から複合材料の時代が徐々に進んで来ているのが今日でしょう。

複合材料の大開拓時代が終わり、いよいよ実用・発展期になっても良い時代を迎えている様に私は感じています。

ただし我々複合材料の世界でそれなりに永く生きてきた者として、注意しなければならないことが有ります。それは、先端複合材料:ACMの<先端>が無くなる時代にやがてなること。それに伴い従来のACMが伝統工芸の道を歩むことです。それぞれに存在価値がありますが、それを意識しておくことが大切だと思います。

日本の現在の産業社会は、過去の100年を思う時、50年先までの文明・産業・経済社会のスコープであり壮大なビジョンを持っていない様な気がします。目先のトレンドを追って、何とか生き残ることはできていますが!ビジョンを実現する具体的なミッションが有るようで無いのでは?と感じるのです。

夢を持って次の世代へ進む準備、世代交代の準備が何よりも必要です。 

私どもは小さな企業ですが、とにかく志だけは大きく!との思いを持ち挑戦を続けます。今後ともよろしくお願い致します。